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【 第1話 】頂点を極めた男と、転落の始まり

ざわざわと勝利の余韻が⽴ち込める体育館のコート上で、チームメイトたちはおもむろに森⽥亜貴⽃を取り囲みはじめる。

同時に幾本もの⼿があちらこちらから伸びてきて、その体を⼀⻫に持ち上げた。

気づいたら、森⽥は宙を舞っていた。

「ワーッ!」

「ワーッ!」

体が宙に浮かぶたび、周囲では⾔葉にならない、割れんばかりの歓声があがる。⽇本⼀の勝利を祝する、そしてこの優勝をもって引退する森⽥をねぎらう、胴上げだ。

体育館中に響き渡るその余韻を聞きながら、森⽥はこれまでの道のりに思いを馳せていた。

23年間、選⼿としてバレーを続けてきた。そのなかで、迷いや葛藤は常にあった。⾃分の選択はこれでよかったのだろうか。そんな⾃問を繰り返しながら、なんとか進んできた。

だがそんな迷いと葛藤の⽇々の先で、最後の引退試合を、栄えある⽇本⼀の優勝で飾ることができた。そう思うと、初めて⾃分を許せたような気がした。⼈⽣を、バレーにかけてきてよかった。素直にそう思った。

“現役23年間の終わり⽅としては最⾼やな……”

宙を舞い、上下する周囲の景⾊を感じながら、今だけは、とその栄光に⾝を委ねた。

2014年、5⽉6⽇。森⽥亜貴⽃、第63回⿊鷲旗全⽇本男⼥選抜バレーボール⼤会の優勝をもって、華々しく選⼿時代に終わりを告げる。

 

 

──舞台はそれから約5年後。2019年のこと。

森⽥亜貴⽃は、⼤阪の⼤学に就職し⼥⼦バレーボール部で監督を務めていた。

2004年から2014年の10年間、Vリーグのパナソニックパンサーズでミドルブロッカーとして活動してきた森⽥。選⼿時代は天皇杯、⿊鷲旗、Vリーグの三⼤⼤会において12回の優勝経験を持つ。最後の引退試合を⽇本⼀の優勝で飾ったことは先述のとおりだ。

⽇本代表には選ばれなかったが、バレー界では名を知られた存在である。

引退後は、V・チャレンジリーグの近畿クラブスフィーダや、関⻄圏の⾼校・⼤学のバレー部などでコーチを務めてきた。2019年2⽉からは、⼤阪の⼤学で⼥⼦バレー部監督に就任。1年間、チームを率いて、指導者としても順調な歩みを⾒せ始めていた。

──はずだった。

しかし実際はこの後、福岡のクラブチームKANOA福岡(後のカノアラウレアーズ福岡)の監督に就任し、気づけば多額の借⾦を請け負うことになり、かつ⾃らは無給で、貯⾦を切り崩しながら必死に奔⾛する、どん底としか⾔いがたい⽇々が待っていた。

 

そのことを、当時の森⽥はまだ知るよしもない──。

 

(取材・構成:KANOA映画化推進委員会)

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